「坂本」の魅力を徹底紹介 「麒麟が来る」で話題の明智光秀ゆかりの町(@滋賀坂本)
穴太衆の石積み
坂本の町で見られる石垣は、主に安土桃山時代に活躍した穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石工(いしく)集団が作ったものです。
自然の石をほぼそのままの形で積み上げていく様式は、見た目が美しいだけでなく堅牢性も高く、彦根城などの城壁にも使用されています。
公人屋敷(旧岡本邸)
公人屋敷(旧岡本邸)とは
公人屋敷は延暦寺の僧侶でありながらも、妻帯と名字帯刀が認められた「公人」(くにん)が暮らしていた屋敷です。
坂本は、徳川幕府から延暦寺に寺領として寄進されていたため、幕府や大名の直接の支配を受けていませんでした。そのため、町の行政は公人が務めていました。こういった公人の屋敷は近年まで坂本に多く残されていましたが、その大半は生活様式の変化により原型を留めないほど内部が改装されてしまっています。
そんななか、ここ岡本邸は家屋全体が当時の状態を留めて保存されており、その歴史的文化価値が認められて平成17年(2005)に大津市指定文化財に指定されました。
公人屋敷の見どころ
主屋
建物内部は改造や改修がほとんど行われておらず、近世の公人屋敷の佇まいが色濃く残されています。平成15年の改修工事時に元治元年(1864年)の棟札が発見されたことから、同年に新築または改築された可能性が高いと言われています。
当時のかまどや臼、寝具などを収納した長持(ながもち)なども展示されています。
居間に上がって内部を見学することもできます。坂本銭(寛永通宝)や日吉山の山王祭で使用される衣装の展示もありました。
私が訪れたのは3月でしたので、立派な雛人形も見ることができました。
高い天井は当時の上流階級の証ですね。
背後から見ても、当時の雰囲気が残る立派な木造建築です。
米蔵と馬屋
左に見えます少し高い建物が米蔵で、右に見えます横長の建物が馬屋です。
この米蔵は、岡本家のためのものではなく、屋根瓦に延暦寺の紋が使われていることから、公人として徴収した年貢米などを蓄えておくために、延暦寺専用で使用された建物であると言われています。
馬屋は家畜の馬を飼育するためではなく、坂本を訪れた上級武士の馬を預かる施設として使用されていました。
生源寺
生源寺とは
生源寺(しょうげんじ)は西暦800年ごろに、最澄生誕の地に建てられた天台宗のお寺です。そのため、天台宗の中でも特別な場所として崇められており、最澄の誕生日と言われる8月18日には毎年盛大な祝典が行われます。
生源寺の見どころ
本堂
現在の本堂は、文禄4年(1595)に再建され、宝永7年(1710)に改修されたと言われております。十一面菩薩像を本尊に祀っています。
伝教大師御産湯井
山門を入って右手に最澄が誕生したときに産湯に使われたという井戸があります。(写真はありません。まさかの写真を撮り損ねです)
鐘楼
生源寺のもともとの鐘は、信長による延暦寺焼き討ちのときに、鐘を強く叩きすぎたことによりひびが入り音が変化したことから通称割れ鐘と言われています。その鐘は現在、JR比叡山坂本駅北側にあります坂本石積みの郷公園で保管されています。写真は現在生源寺境内にあるものです。
滋賀院門跡
滋賀院門跡とは
滋賀院門跡の場所にはもともと、慈円(1155〜1225年)と呼ばれる高僧の里坊がありました。
元和元年(1615)に天台宗の僧侶天海が後陽成天皇より法勝寺を賜りこの地に移築され、明暦元年(1655)に後水尾天皇より滋賀院の号を賜りました。以来歴代の天台座主の居所となっています
しかし、残念ながら明治11年(1878)に火災で全焼してしまいました。現在の建物は、延暦寺の山上にあった建物を明治13年(1880)年に移築したものです。
【コラム】里坊とは
比叡山で修行を積んだ僧侶が老齢後に生活を営んだ寺のことです。比叡山の気候は、厳しい山上の気候との戦いでもあります。現代においても、冬季は厳しい雪が降ることから観光は難しく、シャトルバスやケーブルカーも運休停止します。そういったことから老僧や病弱な僧徒は天台座主に許可をもらい、坂本の地に「里坊」を営み暮らしました。現在も50あまりの里坊が現存しています。
【コラム】天台座主とは
天台宗総本山比叡山延暦寺の住職ことを指し、天台宗の諸末寺を統轄します。天長元年(824)の義真が初代と言われ、3代目の円澄の時代に国家の制度のもと太政官により任命される公職となります。平安時代以降は皇族や公家の子弟が多く任命され、近世以降は、皇族が住職を務めてきました。1871年に太政官による任命は廃止され、天台座主という役職は無くなりますが、復活を望む声が多く明治17年(1885)に私称として復活しています。
滋賀院門跡の見どころ
穴太衆積みの石垣に囲まれた広大な敷地は、約2万平方メートルのあります。残念ながら、建物内部は写真撮影が禁止でしたが、歴代天台座主の位牌が祀られている内仏殿や、狩野派渡辺了慶作の襖絵が見られる羅漢の間、天台座主の儀式が執り行われる格式高い座主接見の間、また、桃山時代の障壁画が見られる二階書院があります。
江戸時代前期の大名で、名庭園デザイナーである小堀遠州作の庭園を見ることもできます。徳川三代将軍家光の名によって作られた由緒ある庭園です。