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セレナ

「セレナ」のプロフィール

当ブログの管理人。1987年生まれ。台湾苗栗出身。当ブログのライター「ユウ」の妻。日本の大学卒業後、台湾の日系企業で勤務し、現在は2児の母として、日本と台湾を頻繁に往来する忙しい結婚生活を送っている。2020年6月に次男を出産。

「ユウ」のプロフィール

1987年生まれ。日本神奈川県出身。当ブログの管理人「セレナ」の夫。大学卒業後金融機関に勤務。趣味のカメラで写真を撮りながら、自由気ままに旅と食べ歩きを楽しんでいる。趣味のカメラに費やしたお金は200万円以上。

私たち日台夫婦のこれまでの歩み

私たちのこれまでの歩みをユウが紹介します。

某都内私立大学での出会い

私たちの出会いのきっかけは、某都内私立大学で同じサークルに所属していたことです。2009年当時、私が大学3年生のころセレナが1年生として入学してきました。ファーストコンタクトはゴルフサークルの新入生歓迎パーティー。まさかこのときに今のような関係になるとは思ってもいませんでした。

期末試験対策を一緒にやったことをきっかけに仲が深まる

2009年7月、同じサークルに所属し同じ学部であった私とセレナは、先輩が後輩にアドバイスを行うという体で一緒に期末試験の勉強を始めます。最初はサークル棟で、次は六本木のコーヒーショップで、といった感じで回を重ねていくうちに仲良くなっていくのでした。

花火大会で告白

期末試験期間中でしたが、勉強の息抜きに二人で一緒に花火大会へ。このときセレナは初めて浴衣に身を包み、日本人男性と一緒に日本の花火大会に参加するのでした。ロマンチックな夜を過ごし、お酒を飲みすぎた二人はラブラブな感じに。帰りはセレナの家まで送ることになり、そこで告白。私たち二人の関係はスタートしました。

一度きりの弁当持参

一般的な日本人女子とは異なり、いきなり積極的な台湾人女性のセレナ。セレナは交際開始の翌日、先に大学に来ていた私を最寄りの駅まで呼び出します。私がセレナを駅まで迎えに行くと、

「ワタシ、ベントウツクッタヨ!」

と、ストⅡの春麗の如く素早い動作で自作の弁当を突き出してきました。これには、私もびっくり。しかも、花火大会のときに私が好きだと話したチンジャオロースまで入っていたのです。

「ワタシ、マダ、アライモノ、オワッテナイ」

と文句を言っていましたが、、台湾人の子ってすごく純粋で可愛いなと思いました。これ以来、一度も弁当を作ってくれたことはありませんでしたが、それもまた可愛いです。

ユウ、初の台湾へ

交際して約1年後、私は初めて台湾へと訪れます。しかも、泊まる場所はセレナの実家。もちろん、お父さん・お母さんともご対面です。台湾人は結婚する前から相手の親に会うのは当たり前と言いますが、やっぱり緊張しました。しかも、セレナのお父さんは警察官。あまり笑顔を見せてくれなかったです。

まあ、分かります。自分の娘の人生を託すかもしれない男ですからね。そりゃ、厳しい目で見ますよ。しかも、セレナは私以外の男を親に紹介したことがありませんでしたので・・・。

ユウ、大学卒業 就職

2011年、大学を無事に卒業できた私は、全国に支店のある某大手金融機関へと就職します。最初の研修期間は、首都圏の研修所で缶詰でしたが、その後の本配属はなんと神奈川県の支店。実家から通うことができ、セレナとの遠距離恋愛は回避することができました。

セレナ帰国、遠距離恋愛へ

2012年、順調に交際を続けてきた私たちですが、セレナは日本で就職はせずに、台湾で仕事することになり、台湾へ帰国します。ここから本格的な遠距離恋愛がスタートです。しかし、住む場所が離れ離れになっても私たちの関係が崩れることはありませんでした。このときは、すでにスマートフォンが普及しており、ラインなどを通じて、無料でコミュニケーションが取れる時代でしたので、毎日テレビ電話でお互いのことを報告しあっていました。

ユウ、ロンドンへ異動

2013年9月、会社の人事異動でユウはロンドンへ生活拠点を移します。日本と台湾の時差は、1時間ですが、台湾とロンドンの時差は7時間。それでも私たちの関係が崩れることはありませんでした。

セレナは私が英国滞在中、2度ロンドンへ訪れてくれました。1回目は2013年の年末、カウントダウンの花火を見たり、ユーロスターに乗ってパリにも遊びにいったりしました。2回目は2014年7月。イタリアのローマとヴェネチアへ遊びに行きます。一足早く、ハネムーンを経験したような感じでした。このころから、結婚を考え始めます。イタリアの高級ブティック街で、ティファニーやカルティエなどの指輪の値段をチェックしていたような・・・。

ユウ、日本へ帰国 拠点を大阪へ

帰国後、大阪の部署へと配属となります。関西国際空港からはLCCを使って台湾へ行きやすく、月に1度以上は台湾へ訪れていました。安いときは往復約1万円で行けていたことも、今となっては懐かしいです。

プロポーズ

2015年、セレナの誕生日のタイミングでプロポーズをします。親戚みんながいる前で、パワーポイントを使いながら、中国語でプレゼンテーションをしました。全然サプライズとかではなく、もうお互いに結婚することは分かっていたんですけどね。しかも、要求された婚約指輪はハリー・ウインストン。(プロポーズをする前に、一緒に買いにいきました)台湾人、要求レベルが高いです。

結婚前撮影

2015年5月、台湾ではお馴染みの映画俳優・女優になれる前撮り写真を撮りました。場所は台北の某所。当日はあいにくの天気でしたが、私も3回も着替えを行い、韓流スター顔負けの表情で写真を撮りました。

結婚式

2015年7月に入籍し、同年9月にW台北で結婚式をあげます。約80名ほどの方に参加いただき、盛大に盛り上げていただきました。このW台北は本当におすすめです。グレード的には5つ星レベルのホテルですが、かなり近未来的な外装・内装で、ネオンが煌めく若者向けのクラブっぽい雰囲気です。いくつか候補はありましたが、派手好きの私にはこのホテル一択でした。

長男誕生

結婚してからも私たちはそれぞれの国で仕事があるため、別々に暮らし続けておりましたが、頻繁に日台の往来を繰り返し、たゆまない努力と工夫を積み重ねた結果、2017年12月に長男を授かることができました。運良く出産当日は台湾に行くことができ、立ち会うことができました。

次男誕生

2020年6月、次男が誕生しました。新型感染症のせいで、私はまだ次男に会えておりませんが、さらに仕事に熱が入って頑張っています。

これからも私たちの人生は続きます。

以上

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