「法隆寺」の見どころを写真とともに紹介 日本最初の世界遺産は見所いっぱいです
みなさん、こんにちは。
今は外出が制限されておりますが、新型コロナウイルス流行が終息した後に、楽しい旅行ができることを祈って旅行記事を書きたいと思います。本日は今年の2月に訪れました奈良県の法隆寺を紹介です。
見所はたくさんありますので、ポイントだけをと言う方は「法隆寺のみどころ4選」のみご覧ください。
法隆寺とは
法隆寺は7世紀(諸説ありますが推古天皇15年(607年))に聖徳太子によって建造された仏教寺院です。斑鳩と呼ばれる地域に建造されたため、別名斑鳩寺(いかるがでら)とも呼ばれています。
日本書記によれば、670年に火災に遭い寺院全体が消失してしまいましたが、その後、再建された後は大きな災害には見舞われておらず、飛鳥文化を現代に伝える貴重な建築物です。1993年に日本の寺として初めて、ユネスコ世界遺産に登録されました。
寺院は、五重塔で有名な世界最古の木造建築を見られる西院伽藍と、夢殿で有名な東院伽藍に分かれています。
法隆寺の見どころ4選
中門
中門(ちゅうもん)は、西院伽藍の入り口に位置し、飛鳥時代を象徴する巨大な門です。深く覆いかぶさった軒、そして、それを支える大きな太い柱が印象的です。
この門の支柱は上部が細く、下部が細くなっています。西洋建築にも見られる様式で、ギリシャのパルテノン神殿の柱もこの形式です。諸説ありますが、法隆寺はパルテノン神殿を真似て作ったと主張する学者もいるようです。
現在は通行することのできない門の左右には、奈良時代に作られたと言われている金剛力士像が立っています。これらの像は「塑像」(そぞう)といって粘土で作られています。赤い像は口を開けている「阿形(あぎょう)像」、灰色の像は口を閉じている「吽形(うんぎょう)像」です。阿吽の呼吸で法隆寺を守っています。
背後からもその雄大な雰囲気は感じられます。
五重塔
法隆寺の五重塔は、日本最古の五重塔です。高さは32.5メートルあります。古代インドにおいてお釈迦様の遺骨を納めるために造られ始めた「ストゥーパ」(サンスクリット語で仏塔のこと)に起源を持つと言われています。上層階に向かうにつれて細くなっていくシルエットと大きな軒が相まって、堂々とした雰囲気を演出しております。
五重塔は耐震性の高さでも有名です。1300年前に建造された建物ですが、地震が発生しても1度も倒壊しておりません。その秘密はその構造にあると言われています。五重塔の中心には1本の太い心柱が貫かれておりますが、この心柱は、周囲の梁や柱に固定されておらず、揺れを受けると建物本体とは逆に動き揺れを抑えると見られています。
1300年前には既に木造建築ならではの免震技術が考案されていたと言えるでしょう。また、近年は東京スカイツリーにおいても心柱が使われており、五重塔と似た免震技術が採用されたことでも話題になりました。
金堂
金堂は、本尊を安置するために造られた建物です。威風堂々としたスタイルのお堂の中には、「釈迦三尊像」、「薬師如来像」、「阿弥陀三尊像」、「吉祥天」、「四天王像」が安置されています。
夢殿
夢殿(ゆめどの)は、法隆寺東院伽藍の中心建築です。八角系の平面に囲まれた美しく神秘的な雰囲気を醸し出している円堂です。内部には本尊の救世観音(聖徳太子等身の像)が安置されています。
この地はかつて聖徳太子が居住していた斑鳩宮がありました。太子の死後は、その子の山背大兄王が住んでいましたが、皇極天皇2年(643)蘇我入鹿に攻め入られ、山背大兄王は法隆寺で自決し、斑鳩宮は焼き払われてしまいました。それから、約100年後の天平11年(739)年に荒廃していたこの土地を惜しんだ高層行信により、夢殿が造営されました。なお、夢殿という名称は、聖徳太子が夢の中で黄金でできた人(仏)に出会ったというエピソードに由来していると言われています。
その他の見どころ
法隆寺参道
奈良交通バス「法隆寺前」で降りるとすぐに見えるのが、法隆寺参道です。
南大門に向かって約300メートル続く、松並木が美しい。
南大門
法隆寺参道をくぐり抜けて、まず見えるのが法隆寺の総門「南大門」です。現在建っているのは、室町時代の永享10年(1438)に再建されたものです。
大講堂
大講堂は、僧侶が仏教を勉強したり、法要を行ったりする施設です。延長3年(925)に落雷によって焼失してしまいましたが、正暦元年(990)に再建され、現在に至っております。
三経院および西室
三経院(さんぎょういん)および西室(にしむろ)は、西院伽藍の西側にあるお堂で、聖徳太子の三経義疏(さんぎょうぎしょ)を講義するために造られました。
三経義疏とは聖徳太子著の教典注釈書で、「法華義疏」(ほっけぎしょ)、「維摩経義疏」(ゆまきょうぎしょ)、「勝鬘経義疏」(しょうまんぎょうぎしょ)のこと指します。南北に伸びる十九間の長大な建物で、南側(手前)の七間を三経院、その北側を西室と呼びます。ちなみに1間は1.82メートルです。
西円堂
西円堂(さいえんどう)は、三経院よりさらに西側の少し高い場所にある八角円堂です。内部には薬師如来像が安置されており、その周りには剣や鏡などの宝物が1,000点以上収蔵されています。
聖霊院
聖霊院(しょうりょういん)は、平安時代末期に聖徳太子信仰が高まって、その尊像を安置するために東室の南端を改造して造られた建物です。もともとは僧侶が暮らす僧房でした。
大宝蔵院
大宝蔵院は、平成10年に完成した法隆寺の貴重な宝物を収蔵する博物館形式の施設です。百済観音堂に安置されている百済観音像は、像高202センチメートルのすらりとした姿と、優美で華麗な慈悲深い表情は多くの人を魅了しています。また、施設内部には他にも、有名な「夢違観音像」、推古天皇の仏殿と伝えら得れる「玉虫厨子」(たまむしのずし)など、日本を代表する多数の宝物が収蔵されています。残念ながら大宝蔵院内部は撮影禁止です。
東大門
東大門は、西院伽藍と東院伽藍の間にある門です。三棟造(みつむねづくり)という奈良時代を代表する建築様式です。三棟造りとは、門の中心前後に2つの屋根を作り、さらにその2つの屋根を覆いかぶせるように大きな屋根を乗せた様式のことです。
舎利殿・絵伝
東院伽藍の夢殿の北側にある建物です。舎利殿には、2歳の聖徳太子がお経を唱えているときに、掌から出現したという言われる舎利(釈迦の遺骨)を安置しており、絵殿には、聖徳太子一族の生涯を描いた障子絵が納められています。
鐘楼
東院鐘楼(しょうろう)は、美麗な袴腰(はかまごし)という建築様式で作られています。内部の梵鐘には中宮寺と刻印されています。